
ピクトグラムは言語や年齢、性別の壁を超えたインクルーシブな情報発信手段として、多くの看板で採用されています。2023年の東京五輪でも注目されたことで記憶に新しいと思います。現代では見たことがない人はいないほど普及しているピクトグラムは、1964年の東京五輪をきっかけに広がった過去があります。この記事では、そんな誰にでも情報を平等に伝えられるようになったデザイン革命の歴史を解説します。
◇国際イベントが求めた非言語コミュニケーション
世界中の人々が注目する平和の祭典、オリンピック。そこには国籍も言語、文化の異なるあらゆる人々が集います。1964年、アジアで初めて開催されることになった東京オリンピックは、日本が戦後の復興を世界に示す絶好の機会として注目の的でした。しかし、その成功のためには、「言葉の壁」という大きな課題がありました。訪日する選手や観光客に、施設の場所や競技の内容を、どのようにして簡潔に、誤解なく伝えるか。この課題を解決するために活用されたのが、あの画期的な「ピクトグラム」だったのです。
◎言葉に頼らない「共通言語」の必要性
1964年当時、国際化の波はかつてないほど高まっていましたが、英語が世界のどこでも普及しているという時代ではありませんでした。東京には、日本語どころか英語も全く理解できない多くの人々が押し寄せることが予想されました。看板や案内表示を日本語だけで記載することは無意味であり、かといって主要数カ国語に翻訳するには、スペースもコストも限られていました。多忙な競技日程の中、人々は瞬時に情報を理解する必要もあり、ここで求められたのが翻訳された「文字」ではなく、誰の心にも直接響く「ビジュアル」、つまり非言語コミュニケーションだったのです。
◎デザインが解決する「混乱」という課題
大規模な国際イベントでは、多数の人が同じ時間に特定の場所へと集中します。トイレはどこか、自分の観たい競技はどの競技場か、受付はどこか——。こうした単純な疑問に対して、訪れた人に迷いを与えない案内表示が、運営の円滑さと参加体験の質を決定づけます。文字を読むというプロセスを省略し、視覚的なイメージで直感的に理解させることができれば、ストレスは軽減され、混乱は劇的に減少するでしょう。東京オリンピック組織委員会は、この「混乱」という最大の課題を、デザインの力で克服しようと試みました。それが、競技スポーツを表すさまざまなピクトグラムの開発へとつながったのです。
◎「誰にでも伝わる」という理念の誕生
このプロジェクトを率いたのは、当時を代表する美術評論家の勝見勝氏です。彼はデザイナーのチームを結集し、ひとつの明確な理念を掲げました。それは、「国境や言語の違いを超えて、あらゆる人に一瞥で意味が伝わるデザイン」を追求することです。単なるイラストや記号ではなく、情報を極限まで抽象化し、洗練された形で提示するグラフィック。そのためには、人体の動きや競技の特徴を仔細に理解し、無駄を一切排した、最小限の表現が必要でした。この「誰にでも伝わる」という普遍性を追求する思想こそが、東京オリンピックのピクトグラムを、単なる案内記号から「デザイン革命」と呼ばれるまでに評価を高めた核心だったのです。
◇競技アイコンが示した抽象化のルール
前章で見たように、東京オリンピックは「誰にでも伝わる」デザインを必要としていました。では、具体的にどのようにして、複雑な人体の動きや競技の特徴を、一瞬で理解できるデザインに落とし込んだのでしょうか。それは、単なる簡略化を超えた、厳格な「抽象化のルール」に基づく作業でした。以下に、いかにデザインチームが各競技の本質を見極め、それを普遍的な視覚言語へと変換するための方法論を確立していったかを解説します。
◎観察から始まる本質の抽出
デザイナーたちはまず、各競技の内容を徹底的に観察することから始めました。写真や実演を参考にしつつ、選手の体の動きや使用するシンボル的な道具の中から、その競技を特徴づける最も重要な要素を探りました。例えば、サッカーであれば「足でボールを蹴るシュートの姿勢」、バレーボールであれば「頭上でボールを打つアタックの動作」です。彼らが目指したのは、写実的なイラストではなく、あくまでも「情報の核」となる動きや形態の抽出でした。この過程なくして、意味が伝わる記号は生まれなかったでしょう。
◎幾何学図形による統一と秩序
抽出した要素を記号として表現する際に、デザインチームは円、直線、四角といった基本的な幾何学図形を徹底して用いています。これは、デザインに統一感と秩序をもたらすためのルールです。例えば、頭部は円で、胴体や手足は一定の太さの直線や長円で表現されていますよね。このルールにより、20種目に及ぶ競技ピクトグラムは、個性を保ちながらも一つのデザインとしてのまとまりを形成することに成功しました。この「統一されたビジュアル言語」であることが、複数のアイコンを並べた時にも見やすく、素早く認識できる基盤となったのです。
◎最小限の線が生む「動き」の表現
東京オリンピックのピクトグラムが後世に与えた最大の衝撃は、デザインの「動感」にありました。静止しているはずの記号が、躍動感に満ちているのです。これは、線の太さや曲線のわずかな角度、各部分のバランスにまで入念な計算がなされたことにより生まれた結果です。デザイナーは、関節の位置や重心のかかり方といった、動きのキーポイントを観察で的確に捉え、最小限の線でそれを表現しました。一見単純なこの図形の中に、競技の緊張感やスピード、力強さまでもが凝縮されていることが、人々を驚かせるとともに共感を呼び、言語を超えた理解を可能にしたのでした。
◇公共サインへの波及—駅・空港の標準化
東京オリンピックで世界的にデビューしたピクトグラムは、その歴史的役割を終えても、消えてしまうことはありませんでした。むしろ、その成功が「非言語を用いた公共デザイン」という可能性を切り開き、現代まで続く私たちの日常生活に深く根付いていくことになったのです。特に、都市の血管とも言える交通機関において、このデザイン革命は「標準化」という形で着実に波及し、都市生活の基盤を形作っていきました。
◎オリンピックから街へ—実用性の証明
オリンピックという巨大なイベントで、ピクトグラムの有効性は実証されました。それから、日本では特に鉄道システムにおいて、導入が急速に進みます。東京をはじめとする大都市圏では、複雑化する地下鉄の路線網と、増加するインバウンドに対応するため、直感的に理解できる案内システムが急務となったのです。オリンピックで培われた「トイレ」「階段」「改札口」などを表すピクトグラムは、公共空間においても、言葉の壁を越えた最も効率的な伝達手段として継続的に使用されました。
◎JIS規格と「日本の標準」の確立
この流れを決定づけたのが、1980年代にかけてのJIS(日本工業規格) での標準化です。「公共案内用図記号」として、さまざまなピクトグラムが国家的な規格として制定されました。これにより、東京と地方、あるいは鉄道会社が違っても、同じ記号が共通して使われるようになりました。例えば、誰もが知る「緑色の走る人」のマークは、JIS規格を経て、誰もが疑いなく避難口と認識する普遍的なサインへと昇華したのです。オリンピックで生まれたデザイン哲学は、「日本の標準」として結実し、公共空間の安全性と利便性を底上げする社会インフラとなったのでした。
◎世界共通言語へ—空港と国際標準化
このインクルーシブな情報発信の波は国境をも越えました。東京オリンピックのピクトグラムは、その完成度の高さから世界中のデザイナーに影響を与え、国際的な視覚言語の開発を促すきっかけとなりました。世界中のあらゆる人々が行き交う空港は、標準化されたピクトグラムの必要性が最も高い場所です。オリンピックでの成功事例は、ICAO(国際民間航空機関)やIATA(国際航空運送協会)といった国際機関における標準サインの開発にも大きな影響を与えました。現在、世界中の空港で見られる荷物受取、税関、搭乗口といったアイコンは、かつて東京が掲げた「誰にでも伝わる」というデザイン理念が、グローバルスタンダードとして広がった結果なのです。
◇まとめ
ピクトグラムはそれまでの固定観念にとらわれない情報媒体として、革命的なデザインでした。言語の壁すら超え、誰にでも平等に情報を届けるというそのイデオロギーは、現在の看板にも大きな影響を与えています。これから看板づくりを始めるという方は、ピクトグラムや類似したアイコンを取り入れることができないか、ぜひ検討してみて下さい。






