
看板は日本で長く活用されてきた広告媒体です。絵巻物の時代から、都市で商業が発展する時代まで、私たちの商いに寄り添ってきました。この記事では、看板づくりの参考として、前近代の日本における看板の活用手法について解説します。現代にも通用するヒントが得られるはずです。
◇文字が読めない時代の“絵解き”としての看板
現代では当たり前のように街中に溢れる看板や広告の数々。しかし、文字の読み書きができる人が限られた時代、商家はいかにして自らの商品やサービスを顧客に伝えていたのでしょうか。ここでは、文字が読めない大多数の人々にも理解できる「絵解き」としての看板の起源を、絵巻物の世界から探っていきます。
◎絵巻物が伝える中世の看板風景
『鳥獣戯画』や『餓鬼草紙』など、中世の絵巻物には当時の商いの様子が生き生きと描かれています。そこに登場するのは、文字ではなく視覚的な符号によって商品を示す看板の数々です。
例えば、酒屋の軒先には杉玉(酒林)が下げられていましたし、醤油屋には瓢箪が看板として掲げられました。鍛冶屋は刀剣の形を、麺類を売る店はそば切りの形をした看板を掲げて、商売の内容を伝えていたのです。
これらの視覚的シンボルは、誰にでも直感的に理解できるものでした。当時の社会では、文字が読めない人々が圧倒的多数を占めていたため、こうした「絵解き」としての看板が、商売を行う上で有効なツールだったのです。
◎絵看板が担った社会的役割
中世から近世初頭にかけての看板は、一種の「視覚的言語」として、社会のあらゆる階層の人々に情報伝達する機能を担っていました。
興味深いのは、職業別にほぼ定型化されたシンボルが存在した点です。薬店は「山帰来」という植物を象った看板、湯屋は簾に「ゆ」の一字を記した看板を使用していました。こうした記号的表現は、地域を超えて広く共通理解として受け入れられ、文字によるコミュニケーションが難しい時代でも、効率的な情報伝達を可能にしました。
これらの看板は単に実用的なだけなく、職人たちの技術や美意識も反映しました。丁寧に彫り込まれた木工細工や、独自の彩色が施された看板は、店の品格を示し、町並みに彩りを添える役割も果たしていたのです。
◇暖簾・提灯・木札—機能と象徴性のはじまり
前章で解説した「絵解き」看板の時代から日本の商業が成熟するにつれて、看板の形態も多様化していきました。以下では、中世から近世にかけて商家が用いた三つの重要な商業道具—暖簾・提灯・木札—に焦点を当て、それらが果たした実用的機能と、次第に培われていった象徴性について探ります。
◎暖簾:空間を区切り、信用を表象する
暖簾の起源は、店先に掲げられた簾(すだれ)や布切れにまで遡ることができます。当初は単なる目隠しや日よけとしての実用も目的でしたが、次第に商業的意味を強く持つようになりました。
暖簾には、店舗と道路の境界を示し、物理的に空間を区切る機能があります。加えて、暖簾に家紋や屋号を染め抜く習慣が生まれていきました。これにより、暖簾は単なる布切れから、「その店の象徴」へと変貌を遂げました。
「暖簾が汚れる」という表現が示すように、暖簾は商家の評判そのものを体現する象徴となっていったのです。由緒ある店の暖簾は、それ自体がブランド価値を持つようになり、いわゆる「暖簾分け」という商業習慣も生まれました。
◎提灯と木札:可動性と永続性のデザイン
提灯は、高い可動性を持ち、夜間営業を可能にした画期的な看板の一種でした。蝋燭の灯りは、風の影響を受けずに明かりを保ち、夜の街に「営業中」の目印を掲げることができました。祭礼や夜間の市など、行事における営業にも欠かせない道具となり、商いの拡大に貢献しました。
一方、木札は耐久性に優れ、細かな彫刻や漆塗りなどの技巧を施すことができたため、格式の高い看板として発展しました。大きく美しい木札は商家の経済力を示すとともに、職人の技術の粋を集めた芸術品としての側面も持ったのです。
◎商業道具からブランドシンボルへ
暖簾・提灯・木札は、独自の実用機能を持ちながらも、次第に「ブランドの信用の可視化」という共通の役割を担うようになりました。これらは、単に商品やサービスを知らせるだけでなく、店の歴史、技術力、そして社会的信用を視覚的に伝達する媒体へと進化したのです。
何代にもわたって受け継がれる暖簾、夜道に揺れる提灯の明かり、木札に刻まれた威厳のある文字—これらすべてが、信頼を形成する要素となっていったのです。
◇近世への橋渡し—常設店舗と看板の定着
市場経済の発達と都市化は、商いの形態に根本的な変化をもたらしました。移動する商人から固定的な店舗へ—この転換が、看板の役割と形態を決定づけることになります。ここでは、常設店舗の登場がいかに看板の定着を促し、近世的な商業景観を形成していったかを深堀します。
◎市場から店舗へ—営業形態の転換
中世までの商業は、定期市などの一時的な営業形態が主流でした。しかし戦国時代から安土桃山時代にかけて、都市に常住する商人層が増加するにつれ、営業形態も変化していきます。
常設店舗の普及は、看板の必要性を根本から変えるものでした。一時的な商いとは異なり、常設店舗の看板は「いつでもここで商売をしている」という恒久的な表示をする存在となったのです。
この転換は、看板を単なる情報伝達の手段から、店舗の「顔」としての役割を担わせることになりました。特に江戸時代、同じ業種の店が同じ通りに並ぶことが多くなったため、自店を他店と差別化するための看板の重要性が飛躍的に高まったのです。
◎看板の二重性—権威の象徴と情報伝達
常設店舗の看板は、二つの性質を併せ持つようになりました。一方では、権威や格式を表現するブランドの象徴としての側面、他方では、具体的な商品・サービス情報を伝達する実用的な側面です。
権威の象徴としては、前述したように大きな木札や立派な暖簾が用いられました。これらは、その商家の歴史的経緯や、町内での地位をも示しました。
一方、情報伝達の手段としては、商品の価格や品質の良さ、仕入れ先などを記した詳細な掲示がされました。これらの看板は、文字の読み書きができる層を想定し、より精密な情報提供を可能にしたのです。
◎看板が育てた都市文化
常設店舗に定着した看板は、都市の景観形成にも大きな影響を与えました。看板は単なる商売道具を超えて、町並みの美的要素としても機能するようになったのです。
看板職人という専門職の登場もこの時期です。彫り師、塗師、金箔押し師など、さまざまな職人の技術が一つの看板に結集され、看板そのものが一種の工芸品としての価値を持つほどになりました。
◇まとめ
この記事では、看板の時代の流れを追いました。暖簾・提灯・木札という三つの形態が確立されることで、日本の看板文化は大きな転換点を迎えたことがお分かりいただけたと思います。これらはそれぞれの用途や格式に応じて使い分けられるようになり、近代におけるブランド概念の発展へとつながっていくことになります。
そして特定地域に根差した商いをするようになった店舗の看板は、単なる商品表示ではなく、商家の信用、歴史、技術、そして美意識をも表現する総合的な媒体へと進化を遂げたのです。
近代における広告文化の興隆へとつながっていった歴史を知っておくことは、看板製作の際に直接的に役立つことではないかもしれませんが、非常に多くのヒントを含んでいます。先人の知恵を参考にしつつ、より質の高い看板づくりを目指しましょう。






