
現代の広告文化の発展において、高度経済成長期は重要な意味を持つ時代でした。巨大な屋外広告が次々と登場し、華やかなビルボードが街を彩ったこの時期は、看板にとっても最盛期と言える時代でした。この記事では、当時の高度経済成長期に発展した看板の歴史的背景や台頭の要因を深堀します。
◇幹線道路・駅前広場における大型看板の台頭
巨大看板が経済成長の象徴として、都市部に次々と登場した時代がありました。特に幹線道路や駅前広場に所狭しと設置され、看板が道行く人たちの視線を集めました。ここではそんな看板最盛期の時代を振り返ります。
◎道路を飾る巨大広告の誕生
戦後日本が高度経済成長の波に乗っていた時代、都市の風景は急速に変貌を遂げていきました。特に幹線道路沿いには、巨大なビルボードが続々とそびえたち、消費社会の到来を告げるように立ち並びます。
自動車の普及が進み、人やモノの流れが活発になると、看板は企業のブランド認知を高める最も効果的な広告手段の一つとなりました。人々の移動時間が増え、都心部の人通りが多くなる中で、大型看板は多くの消費者の心をつかみました。
◎駅前広場の看板競争
ターミナル駅の駅前広場もまた、大型看板がその存在感を競い合う最前線の舞台でした。駅の改札を出れば、すぐ目の前に広がる巨大な看板群。これらは通勤通学で毎日駅を利用する人々に対して、絶え間なくメッセージを送り続けました。
当時の看板はまだアナログが主流で、手書きによるものも少なくありませんでした。しかし、その大きさとインパクトは現代の看板に劣らず、多くの企業が自社の商品やサービスを多くの人に知ってもらおうと競い合ったのです。駅前広場は人の流れが最も集中する場所であり、ここに看板を設置することは、効果的なプロモーションとして重視されていました。
◎社会現象となった看板広告
これらの大型看板は単なる広告媒体を超え、時に社会現象となることも。人々の記憶に残るキャッチコピーや親しみやすいキャラクターを採用した看板は、その場所のランドマークとして認識されることも少なくありませんでした。
当時の大型看板は、進行する消費文化の象徴であると同時に、経済成長を実感させる存在でもありました。人々は看板を通じて新しい商品や魅力的なブランドを知り、豊かさを追求していったのです。
こうして大規模な看板は都市の風景に欠かせない要素となり、次の時代の屋外広告の発展の基盤を形成していったのでした。
◇鉄骨・アルミ・FRP—素材革新と施工技術
看板はその時代最先端の技術の結晶と言えます。そのため、科学の進歩と共に素材革新が看板の計上にも影響を与えました。ここでは、素材の観点から看板の進化について解説します。
◎看板を支える素材の進化
高度経済成長期、大型看板は単なる「絵看板」から「巨大構造物」へとその性格を変えていきました。従来の木造看板に代わり、鉄骨構造が導入されることで、看板は一層巨大化し、より高く視線を集められる位置に設置されるようになったのです。
鉄骨は強度と耐久性に優れ、風雨にも耐えられることから、長期使用が可能となりました。一方で重量が課題となりましたが、そこで登場したのがアルミニウム合金です。軽量で錆びにくく、メンテナンス性も高いことから、駅前広場の支柱や看板枠に広く活用されていきました。素材の進化が、看板の大型化を可能にした代表的な事例です。
◎施工技術の革新と安全性向上
看板の大型化に伴い、設置するための施工技術も飛躍的な進化を遂げました。特にクレーン技術の発達は、看板の可能性を大きく広げました。幹線道路沿いなどの限られた作業空間でも、精密に看板を設置できる技術が確立されていきました。
また、安全性への配慮も大きく前進します。強風対策としての風洞実験の導入、地震に対する耐震計算の徹底など、看板は法的にも「都市の構造物」として扱われるようになります。施工業者と広告主の連携により、安全基準が着実に整備され、都市の景観に溶け込む看板が増えていきました。
◎素材と技術が広告表現に与えた影響
1960年代後半からは、FRP(繊維強化プラスチック) の登場が看板の表現力を飛躍的に高めました。FRPは軽量かつ自由な成形が可能で、立体看板や曲面を活かしたデザインを実現しました。
この技術により、商品の立体レプリカやキャラクターの立体化など、看板は「平面」から「立体」へと進化し、通行人の目を惹くための表現が多様化していきました。素材コストの低下と加工技術の向上により、地方都市でもFRP看板が登場するなど、広告表現の民主化が進んだ時代でもありました。
これらの素材革新と施工技術の進歩が、巨大屋外広告の黄金時代を支える基盤となったのです。
◇交通広告・テレビCMとのメディアミックス
看板という広告媒体を語るにあたって、看板単体で発展を説明することはできません。相互に影響を及ぼし合ったメディアの連携が、消費者の意識を変えていったのです。
◎交通広告のネットワーク化
高度経済成長期後半、都市間の移動手段が発達するにつれ、交通広告は新たな展開を見せはじめます。鉄道の駅構内や電車内、バスの車体など、人の流れに沿った広告ネットワークが構築されていきました。
特に現代でも定番である通勤電車の中吊り広告は、満員電車という特殊な環境で乗客の注目を集める効果的な媒体として発展しました。同じ広告が毎日のように目に入ることで、印象を強く残し、商品への親しみや認知度を高める役割を果たしました。また、駅構内のポスターや階段広告などの移動経路に沿って配置されることで、自然と消費者にアプローチできる仕組みが確立されていったのです。
◎テレビCMとの連携戦略
1960年代半ばにはテレビの普及率が急上昇し、各企業はテレビCMと屋外広告を組み合わせたメディアミックス戦略を本格化させました。同じ商品の広告を、屋外ではビジュアルで、テレビでは動画で訴求する相乗効果が期待されたのです。
特に印象的だったのは、テレビCMで流れたキャッチコピーやキャンペーンソングをそのまま屋外広告に採用する手法です。インパクトの強いフレーズは、テレビで耳にし、屋外で目にするうちに、人々の心理に深く浸透していきました。このような一貫したメッセージの発信が、ブランドイメージの定着に大きく貢献したのです。
◎統合された広告戦略の効果
メディアミックスの最大の効果は、消費者に対するリーチの頻度と深度が加速度的に高まった点にありました。家庭ではテレビCMで、外出先では駅や道路の看板で、移動中は交通広告と、あらゆる場面で同じ商品の情報に触れることで、無意識の内に購買意欲が刺激される環境が整えられました。
このような統合された広告戦略は、消費者の意識だけでなく、企業のマーケティング手法そのものも変革します。単なる商品の宣伝から、ブランド全体のイメージづくりへと重点が移行し、広告表現もより戦略的で個性あふれるものへと進化していったのです。
◇まとめ
高度経済成長期は、急速な経済の発展や技術革新によって、広告業界も劇的な変化に晒された時代でした。メディアの進化や素材の変化に合わせて、看板の形や発信方法も変わっていったのです。この変化は現代まで続くものであり、近年ではデジタル化の進展に伴って再び看板には大きな変革の時代が訪れています。歴史を学んでおくことで、これから事業所としてどのように看板を適応させていくかのヒントが得られれば幸いです。






