万博は長い歴史の中でも、単なる文化や技術の展示場を超え、人と空間の関わり方を根本から問い直す壮大な社会実験の場として機能してきました。特に1970年の大阪万博は、空前の規模感と来場者数が、看板やサインという「情報のインフラ」に革新を迫りました。この記事では、巨大空間のナビゲーション、新素材・照明の導入、多言語・ピクトグラムによるコミュニケーションという三つの事例を通して、万博が現代のデザイン思考にいかに深い爪痕を残したかを追います。

 

◇巨大展示とナビゲーションの課題解決

20世紀以降、万博や国際博覧会は、単に技術や文化を紹介する場であるだけではなく、人間が如何に複雑で巨大な空間を理解し、快適に移動するかという課題と向き合う実験場となってきました。中でも1970年の大阪万博は、その圧倒的な規模と来場者数によって、従来の「道案内」の概念を劇的に改善させる必要性に迫られました。そこで生まれた数々のナビゲーション策は、単なる一時的な措置ではなく、後の都市計画やデザイン思想にまで影響を与える「看板のイノベーション」の起点となったのです。

 

◎巨大空間が生む「迷い」という課題

1970年の大阪万博は、330ヘクタールという広大な会場に82カ国が参加し、延べ6400万人を動員する前代未聞のイベントでした。これほど広大な展示空間では、効率的なナビゲーションシステムが求められました。来場者は、限られた時間で最大の体験を得る必要があったのです。

当時、博覧会のナビゲーションはまだ発展途上でした。従来の博覧会でも看板は存在しましたが、大阪万博の規模は桁違い。単なる方向指示だけでは、来場者はすぐに「どこに何があるのか」「今どこにいるのか」「目的地までどう行けばいいのか」という迷いを抱えることになります。この課題を解決することが、看板イノベーションの出発点となりました。

 

◎大阪万博の革新的ソリューション:「万博マップ」と「サイン計画」

大阪万博では、総合的な「サイン計画」が初めて本格的に導入されました。それは単なる看板の集合ではなく、情報の階層化と系統化を意識した、体系的な情報デザインでした。

情報の階層化では、まず「会場全体を見渡せる総合案内図」、次に「エリアごとの詳細マップ」、さらに「現在地を示すサイン」という三段階の情報構造を構築しました。特に革新的だったのは、来場者が常に「全体の中での自分の位置」を把握できる設計です。

視覚的言語の統一も重要な革新でした。色分けされたエリア表示、直感的なピクトグラム(絵文字)、多言語対応など、言語に依存しない情報伝達を追求しました。

「万博マップ」 はその象徴で、折りたたみ式の精巧な案内図は、来場者の必須アイテムとなりました。地図上には単なる位置情報だけでなく、パビリオンの特徴や待ち時間予想などの実用的情報も盛り込まれ、情報ツールとしての看板の可能性を大きく拡張しました。

 

◎現代への継承:空間認知を助けるデザイン哲学

大阪万博で確立されたナビゲーション手法は、その後の都市設計や商業施設、公共空間に大きな影響を与えました。

第一に「ユーザー目線の情報設計」の重要性です。来場者がどんな情報を、どんな順番で、どんな状況で必要とするかを徹底的に分析したアプローチは、現代のUXデザインの先駆けとも言えます。

第二に「システムとしての看板」という概念です。個々の看板がバラバラに存在するのではなく、相互に関連し補完し合う情報ネットワークとして機能させる考え方は、今日のスマートシティの基盤思想につながっています。

第三に「多様性に対応する柔軟性」です。外国人、子ども、高齢者、障害者など、多様な来場者すべてに使いやすいデザインを追求した姿勢は、ユニバーサルデザインの実践例としても価値があります。

大阪万博のナビゲーション革新は、単なる「道案内の工夫」を超え、人と巨大空間の関係を再構築する試みでした。この経験は、現在私たちが直面する、さらに複雑化する都市空間や仮想空間のナビゲーション課題にも、多くの示唆を与え続けているのです。

 

 

◇新素材・新照明の実験場としての万博

万博は技術革新のショーケースであり、新素材と新照明の最も先進的な実験場となってきました。1970年の大阪万博では、高度成長期の化学・電子技術を背景に、FRPやアクリルといった成形自由な新素材と、ネオンやハロゲンランプによる印象的な照明が会場を覆いました。これにより、看板や展示は「光と造形そのものが創る体験」へと変容したのです。ここでは、未来を先取りした技術が、いかに空間の表現力を革新したかを追います。

 

◎万博という「技術のショーケース」:実験的導入の必然性

万博や国際博覧会は、ただ文化を披露する場ではなく、未来を先取りする技術の実証の場としての側面を持っていました。特に展示空間そのものを構成する「素材」と「照明」においては、企業や研究者が最新の成果を投入する絶好の機会でした。なぜなら、万博は一時的で非日常的な空間であるため、日常ではデメリットが無視できないような革新的な技術でも試しやすかったからです。

大阪万博が開催された1970年前後は、日本の高度経済成長期と重なり、化学工業や電子技術が飛躍的に進歩していました。看板や展示物は、情報を伝える機能だけでなく、「技術が見せるショー」 として進化することを求められたのです。来場者は、未来的なデザインとともに、そこで初めて目にする素材の質感や光の効果に強い印象を受けることになりました。

 

◎大阪万博の光と素材の革新:プラスチックとネオンの共演

大阪万博では、多様な新素材と照明技術が会場全体を覆いました。その革新は主に二つの軸で展開されました。

第一は「新素材による造形の自由化」 です。当時、急速に普及し始めたFRP(繊維強化プラスチック) は、軽量かつ自由な曲面成形が可能なため、看板やモニュメントの形状をそれまでの木や金属とは比べ物にならないほどダイナミックにしました。例えば、岡本太郎デザインの「太陽の塔」内部の生命の樹にも、FRP製の生物模型が多用されました。また、アクリル樹脂やポリカーボネートといった透明・半透明のプラスチックは、看板のカバーや発光部材として活用され、強度を確保しながら鮮やかな色彩を可能にしました。

第二は「新照明による空間の劇場化」 です。夜間も多くの来場者でにぎわう万博では、照明が単なる「照らすもの」から「空間を演出する舞台装置」へと変貌しました。ネオンサインは、パビリオンの名称やシンボルマークを華やかに浮かび上がらせ、昼間とは全く異なる幻想的な景観を生み出しました。

 

◎現代の看板デザインへの継承:LEDとスマート素材へ

大阪万博での実験は、その後の看板や空間デザインに確かな遺産を残しました。

まず、現代の「照明のデジタル化・省エネ化」 への道筋をつけました。ネオンやハロゲンに代わり、今ではLED照明が主流です。LEDは当時の技術では実現できなかった省電力、長寿命、フルカラーでの微細な制御を可能にし、デジタルサイネージやプロジェクションマッピングといったインタラクティブな看板の基盤となりました。万博が追求した「光による劇場性」は、より高度な形で発展しているのです。

次に、「素材のスマート化」 への萌芽が見られました。当時のFRPやアクリルは、現在ではより軽量で強度の高い複合材料や、光を通す導光板、さらにはタッチセンサーを内蔵できるインタラクティブ素材へと進化しています。看板は「表示するだけ」から「双方向で通信するインターフェース」へと変容しており、その原型は、万博という実験場で素材と照明を融合させた試みに遡ることができます。

 

 

◇多言語・ピクト強化と来場者体験

博覧会の本質の一つは、世界が一つの場所に集う「多様性の祭典」にあります。大阪万博には、国内はもとより世界中から訪れる多様な言語と文化背景を持つ来場者が集まりました。この「言葉の壁」は、安全と体験そのものを脅かす重大な課題でした。ここでは、言語に依存しないビジュアルコミュニケーションとしてのピクトグラム(絵文字)と、最低限の多言語表示が、いかに来場者体験の基盤を支え、現代のユニバーサルデザインの礎となったかを探ります。

 

◎「言葉の壁」という万博固有の課題

万博は多様な言語が飛び交う場所でもありました。大阪万博では、海外からの来場者が予想以上に多く、英語だけでなく、アジアや欧州など多様な言語への対応が現実的な課題として突きつけられました。問題は単に「翻訳が足りない」こと以上に、緊急時の安全案内や基本的な施設利用(トイレ、救護、飲食)において、誤解や混乱が生じる可能性があったことです。看板やサインが「情報を伝える」という最も基本的な機能を、いかに万人に保証するかという、デザインの根本的な問いが投げかけられました。ここから、「言語を超えた視覚的言語」の体系的な構築の挑戦が始まったのです。

 

◎視覚的共通言語の構築:ピクトグラムと多言語表示の調和

大阪万博では、この課題に対して、二つの革新的なアプローチが取られました。

第一は、国際的な標準化を図るピクトグラムの採用と開発です。特に「トイレ」「救護所」「飲食店」「電話」など、生活に必須の情報は、誰もが直感的に理解できる単純で明快な絵記号で表示されました。これらは、後にISO(国際標準化機構)で標準化されるピクトグラムの先駆けとなる、実践の場だったのです。

第二は、多言語表示の戦略的配置です。全ての情報を全ての言語で表示することは物理的に不可能でした。そこで、重要度に応じて情報を階層化し、生命・安全に関わる情報には複数言語を併記し、それ以外はピクトグラムと最小限の多言語に頼るという割り切りがなされました。公式ガイドブックやマップも、多言語版が用意され、来場者は事前に情報を得る手段を確保しました。

この両者の調和によって、看板は「読むもの」から「誰もが瞬時に理解するもの」へとその性質を変化させ始めました。言葉を知らなくても目的地を認識できることが共通目標となったのです。

 

◎ユニバーサルデザインへの発展:体験の平等性を目指して

大阪万博での多言語・ピクトグラム表示の取り組みは、その場しのぎの解決策ではなく、「あらゆる人に開かれたデザイン」という思想の先駆けとなりました。ユニバーサルデザインの核心的な理念——年齢、能力、文化背景を問わず、可能な限り多くの人が利用できる設計——に直接通じるものです。

この思想は現代において、より洗練された形で発展しています。音声ガイド、触覚(点字・触知図)による情報提供など、テクノロジーを駆使したマルチモーダルな案内システムは、視覚的ピクトグラムを補完し、情報アクセスの平等性をさらに高めています。また、空港や駅、大規模商業施設などの空間では、大阪万博で試みられたようなピクトグラムと多言語の併記が、今や標準となっています。

この取り組みは「来場者体験の質」を定義づけました。迷わず、不安を感じず、文化の違いを楽しみながら会場を探索できる環境こそが、万博という国際イベントの価値を高めたと言えるでしょう。看板は、情報を伝える「道具」から、来場者の安心と発見を支える「体験のインフラ」へと昇華したのです。

 

 

◇まとめ

大阪万博が看板イノベーションにおいて示した真の遺産は、「問題解決としてのデザイン」という思想です。巨大空間の混乱を整理する体系的情報設計、素材と光で未来を可視化する技術実装、言葉の壁を越える視覚的共通言語——これらはすべて、多様な来場者を迎える「人間中心」の課題解決から生まれました。イベントは終わっても、そこで培われたユニバーサルデザインの理念と問題解決の方法論は、都市空間、商業施設、デジタルインターフェースへと継承され、私たちの日常の礎となっているのです。